上弦の月 1

next  top  Novels


「いたいた、ヤギちゃん」
 聞き覚えのある通りのいい声に、カウンターでゆっくりグラスを傾けていた下柳は軽く手を挙げた。
「あたし、シャボー、ロックでお願い」
 下柳の横に座ると、ひとみはバーテンダーに早速そう告げる。
「お前、最初はカクテルかなんかにしてみたらどうだ? 可愛げの片鱗がないともいえないと、意外性に騙される男がまれにいるかもしれないぜ」
 今更言ってどうなるわけでもないこととはいえ、一応は口に出して下柳は無精ひげを指でさする。
「なんなのよ、その回りくどいイヤミは。須永ちゃんも何かもらったら? 帰りはタクシーにしよ」
 下柳とひとみのやりとりをクックッと笑いながらひとみの横に座った須永は、えっとばかりに顔をひきつらせる。つまりは、腰を据えて飲むと言っているも同然だからだ。
「でも、ひとみさん、明日、スタジオ入り八時……」
「まだ時間あるじゃない」
 はああ、と須永は思わず胃をさする。
 上のレストランで美味な食事を一緒にとったのはいいが、あとがこれでは消化不良を起こしそうだ。
「なかなか美味しかったわよ、ヤギちゃんにしてはいい店知ってるじゃない」
「こないだ、良太に教わったんだよ、バーもあるって」
「へえ、久しぶりに良太ちゃんの顔を見たくなったな、呼んじゃおか」
「やめとけ」
 携帯を取り出して今にも呼び出そうとしたひとみを、下柳はあっさりとめる。
「なんでよ?」
「ちょっとな……」
 コースターの上にグラスを置いたバーテンダーに、ありがと、とにっこりしつつも、ひとみは携帯を握ったまま下柳を見た。
「何よ、もったいぶって」
 もう何年来、工藤を含めて三人は顔を合わせればおのずと飲みにいくような間柄だが、最近工藤の部下の良太がときたまそれに加わり、ひとみは良太を可愛がっている。
 良太にしてはやや遠慮したいことも多々あるのだが。
「いや、工藤のことさ……」
「高広がどうしたのよ。また、新しい女でもできたってんじゃないでしょうね?」
「……いや……そうじゃないんだが……」
 下柳はよほど言いにくそうに、グラスをもてあそぶ。
「にえきらないわね」
 すぱっと切れ味鋭くひとみが言いきる。
「るさいな、ちょっと耳かせ」
 ちょいちょいと指を動かすと、ひとみは、なによ、と顔を寄せる。
「こないだ、花見の時、会っただろ」
「誰に?」
「センセーだよ、小説家の……」
「ああ、千雪センセのこと? それが?」
「だからよ、その………実際、この俺ですらクラッときそうなタマじゃねーか、そんなやつと工藤、その、なんだ……」
 言葉に詰まる下柳の横で、ひとみはけらけら笑う。
「やーだ、ヤギちゃんまで、センセにのぼせちゃったんだ」
「バッカ言え! 俺はただ名前が名前だし………おい、……までってことは、つまり……」
 確かに千雪の美貌にあてられた感もないではない下柳はがらにもなくうろたえる。
「まっさらじゃあないみたいだけど、昔の話よ」
 ひとみはコクコクとグラスをあおる。
「おい、じゃ、やっぱ……」
「おいしい~! おかわりお願い」
 手持ち無沙汰に火をつけた煙草をくわえる寸前で言葉に詰まる下柳をよそに、ひとみは元気いっぱいだ。
「ひとみさん………もうちょっとゆっくり……」
 のそのそとカンパリーソーダに口をつけている須永が横でため息をつくが、そんなものはひとみの耳をさらりと通り抜ける。


next  top  Novels


にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ

ようこそ、お立ち寄り有難うございます。お気楽ハピエンBL小説です。