誰にもやらない35

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 音の収録も何とか無事に終わり、数日経ってから、約束通り奢ってやるぞ、と言う佐々木との待ち合わせの店に、浩輔は向っていた。
 佐々木は出先の化粧品会社からそこに来ることになっている。
 『ペールムーン』という名のバーに入ると、薄明かりの店内にサックスの音が程よい心地よさで流れている。
 カウンターに案内されてビールを注文し、一息ついた頃、よう、と肩を叩かれて浩輔は驚いた。
「あたり、やっぱここだった」
 人懐こそうな笑みを浮かべて隣に座ったのは何とキョウヤである。
「あ、俺、バーボンね。ロックで」
 バーテンダーに言いしな、浩輔に向き直る。
「会社電話したら、今日ササキとコースケちゃん一緒だって言ってたから。俺も前、ササキとここ来たんだ。ササキ、まだこねーの?」
「うん、七時くらいになるって」
「ふーん。この店、業界の連中もよくくるんだけど、結構渋いだろ」
 キョウヤはウイスキーを一口飲むと、「な、コースケちゃんて、英報堂で、河崎の部下やってたって?」と、いきなり浩輔に切り出した。
「ここんとこCMとか映画とかの仕事ばっかでさ、今日も英報堂のやつらと一緒だったんだ。たまたまこないだのCMの仕事の話してたらさ、藤堂がそう言ってた」
 浩輔はキョウヤにまで余計なことを言いふらしている藤堂に苛立ちを覚える。
「コースケちゃんも、今のうちにじゃんじゃん飲めよ。どうせカワサキのおごりだからさ、ここ」
 浩輔はぎょっとする。
 背後が少しばかりさざめいた。
 英語の合間に「タツヤ」という単語が飛び交っている。
 恐る恐る浩輔が振り返ると、モデルらしい女数人を従えた河崎がそこにいた。
「ウワサすればじゃんか。まぁた派手に女に取り巻かれちゃって」
 キョウヤがクスクス笑う。
「根っからのタラシだよな、あいつ。コースケちゃんがいた頃もすごかっただろ?」
 河崎の腕にしなだれかかり、何かを囁いている長いブロンドは確かリサとかいった。
 河崎が唇の端で癖のある笑みを作る。
 今度はあの女か。
 でも関係ない! もう、俺には…
 呪文のように自分に言い聞かせ、浩輔は慌ててカウンターに向き直る。
 まさかと思っていた浩輔だが、隣のスツールにきた男に肩を引き寄せられ、ハッと身を硬くする。
「リサ、キョウヤと向こうに行ってろ」
「え、カワサキ、何だよ、おい…」
 露出度の高い真っ赤なワンピースの美人はそのままキョウヤを奥のテーブルに引っ張って行ってしまった。
 浩輔は一人緊張する。
「仕事は順調そうだな?」
 深みのある声が低く浩輔の耳元で囁いた。
 河崎は自分と浩輔に、ジャックダニエルズをバーテンダーにリクエストする。
「いい絵じゃないか」
 浩輔の前には氷が入ったウイスキー、河崎の前にはストレートが置かれた。
「お前がそっちの才能を持っていたなんて、知らなかったな」
「あれは、佐々木さんのプランに従ったまでで、俺なんかまだ…」
 煙草に火をつけると、河崎は半分浩輔に体を向け、カウンターに片腕をのせて浩輔の顔を覗き込んだ。
「まあ、俺についているよりはマシってやつか?」
「…ちが……!!」
 顔を上げると、河崎の目が間近にあった。


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