誰にもやらない60

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 宮の坂のアパートは、イタリアから帰国した時、大学の助教をしている兄の浩一に保証人になってもらって借りたものだった。
大した家具もなかったが、布団やベッド、冷蔵庫などはまだ新しいので、兄の浩一が学生に聞いてくれて持ち帰ってもらった。
就職祝いに親が買ってくれた車は日本を離れる時に売ってしまったし、河崎が車を出してくれることになっていたのだ。
 浩一には会社の近くに友達と住むのだと言って荷物を運ぼうと申し出てくれた浩一には断割りを入れたが、浩輔の性格上、事実が知れるのも時間の問題かも知れない。
 衣類や書籍、画材の類は、段ボール数個に納まった。
 あとは美術学校時代の作品やパソコンとテレビだけ。
 それもベンツのステーションワゴンに積み込み、浩輔がサイドシートに乗り込んでも十分OKだ。
 さすがに台風の前とあって、ちょっと動いただけで蒸し暑さに汗が流れる。
『フィンリー・トレーディング・CO.LTD.』
 河崎の部屋はこの会社名義になっていた。
 浩輔が使っていたゲストルームに、荷物を運びいれ、片付けも早々に終った。
「ありがとうございました。今、お茶入れます」
 早く帰ってくれないかな、と思いながら、浩輔は一応丁寧に頭を下げる。
「ああ、俺、ビールね」と、キッチンに行こうとする浩輔を藤堂が呼び止めた。
「え……でも、車ですよね?」
「平気平気。ビールの一本や二本。一緒に飲もうよ、コースケちゃん」
「ダメです。飲むんなら車置いてってください」
 リビングの窓側のソファが、チビスケのお気に入りの定位置だ。
 丸くなってふくふくと眠っている。
「いいながめだよな、ここ」
 街の灯りが大きな窓全面に広がっている。
「二人っきりで酒も入って何か変な気分にならない?」
 からかわれているのはわかっているが、妙な流し目に浩輔は思わず身を引いた。
「全然なりません」
「つれないんだから、コースケちゃん」
 その時エントランスのインターフォンが鳴った。
『あ、コースケちゃん? あたし、開けてちょうだい』
 一瞬、浩輔は硬直する。
 開けないわけにもいかず、ロックを解除した。
「誰? 達也?」
 藤堂が聞いた。
「さやかさんです」
「さやかだぁ? 何しに来たんだ? あいつ」
 それはこっちが聞きたい。
「お引っ越し祝いよ。コースケちゃん。ピザもあるの」
 豪華な深紅の薔薇の花束と共にさやかは現れた。


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